平成29(2017)年九州場所、再入幕を果たしたベテラン安美錦の敢闘賞が大きな感動と反響を呼んだ。後輩日馬富士の暴行問題で、部屋や協会が大きく揺れるなか、リズムを崩すことなく頑張った。場所を通じて立ち合いの踏み込みがよかったので、その後の相撲でも、彼独特の技能が発揮されたと私は見る。本人も予想だにしなかった受賞だったのだろう。自分と一緒になって戦ってくれた家族への感謝の涙にくれた。
長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。 ※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。
歴史に残るキャッチフレーズ「涙の敢闘賞」は映画から
千秋楽のNHKのテレビ解説で北の富士さんも「名寄岩の『涙の敢斗賞』(日活映画・昭和31年制作)を思い出させるね」とおっしゃっていたが、真面目に物事を追求している人が何らかの形で報われたとき、ファンは自分のこと以上にうれしくなるもの。 NHKの大相撲実況が始まったのは昭和28(1953)年。以来小学生の私たちはテレビの普及とともに、時のスーパースター「栃・若」に夢中になる一方、名寄岩という存在にも魅せられていた。 大横綱双葉山と羽黒山と同じ部屋で、大関にまでなった力士が、戦前と戦後2回の大関陥落を経験。さらに数々の持病とも戦いながら実直な相撲を取り続けている。マゲにしても薄く細く、小さい。身近な言葉で言ってみれば、おじいちゃんみたいな力士が、群雄割拠の土俵で懸命に勝負に臨む不器用な姿に、私たちは胸をかきむしらされていた。 そんなファンの興奮の集大成とも言えるのが、ご本人出演のこの日活映画であった。私たちは素直に感激して涙を流した。 映画(原作・池波正太郎)のタイトルとなった『名寄岩 涙の敢斗賞』は1場所だけの『敢闘賞』を指すものではない。彼自身の生き方が敢闘賞そのものと言うことなのだ。 まずは25年夏場所西前頭14枚目まで番付を下げたところでの初の敢闘賞。 次いでその2年後の27年秋場所、横綱と顔の合う西前頭3枚目で千代の山から金星を奪うなどの活躍で2度目の敢闘賞、38歳での関脇への返り咲きまで決めた。 そして29年夏場所千秋楽には、その再起不能とさえ思われたところからの頑張りはまさに力士の鑑で、相撲史に特筆されるべきものとして(しかも前場所も堂々勝ち越している)、協会から特別表彰を受けた。これこそは名寄岩の代名詞『涙の敢闘賞』の集大成と言うべきものであろう。翌秋場所にはついに力尽きて引退を決意するに至った。ときに40歳。この戦後の最高齢幕内記録は、その後旭天鵬に破られるまで60年間輝き続けたのだった。 名寄岩が奮闘した土俵も、鉄骨むき出しの浅草蔵前仮設国技館から四本柱撤廃、本建築の蔵前国技館と移り、映画の回想シーンのそのロケも、白い壁が印象的な本建築の蔵前国技館で行われている。 今、考えても、ほとんどの元横綱の寿命そのものが還暦を迎える前に尽きていた時代に、40歳まで現役を続けるなど、奇跡的なことであった。 最後に、名寄岩と安美錦の共通点は、やはり相撲に対する真摯な取り組み方であろう。ともに伝統的な稽古法にのっとって熱心に鍛えている。さらに安美錦においては、現代の過体重時代(相手に負荷がより多くかかる)に応じた体の鍛錬と工夫をさらに加えているに違いない。大ベテランの努力に幸多かれと祈る。 語り部=下川哲徳(杏林大学名誉教授) 月刊『相撲』平成30年1月号掲載
相撲編集部
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June 09, 2020 at 10:08AM
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【私の“奇跡の一枚” 連載73】 老雄名寄岩の、時代を超えた『涙の敢斗賞』(ベースボール・マガジン社WEB) - Yahoo!ニュース
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