私たちは、本場所の毎日の取組表や星取表の印刷を担当している。毎日の土俵の現場に最も密着した仕事であるところから、協会の印刷部のような存在として、国技館や相撲場に一室を与えられ、毎日朝から晩まで力士の四股名とにらみ合っている。
長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。 ※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。
引退相撲がきっかけ
さて、私が30歳で脱サラをして義父の営む島印刷を継ぎ相撲社会にデビューしたのは、昭和49年9月場所であった。この場所後に元大関前の山の高田川親方の引退披露大相撲が行われたのを見、引退花相撲というものの存在を知った。そしてこれが、取組表やポスター、挨拶状などで、自分がお手伝いしていかなければならないイベントであることも。 以来私は、これまでの43年間に150人以上の力士の引退行事とも関わってきた。チケットやプログラムなど当面の印刷物はもちろんのこと、案内状からお礼状まで。さらに加えて相撲部屋の創立記念パーティや、愛弟子たちの昇進披露や結婚式等々。長年そんな仕事を受け、見よう見真似で必死にこなしていった。そうこうしているうちに、相撲界ならではの言葉づかいやノウハウのようなものも覚え、文面の相談を受けたり、アドバイスのようなことをさせてもらうようにもなった。 現役関取衆とは、仕事上ふだんほとんど接点はない私たちだが、引退前後から印刷室を訪れるようになった親方衆と親しく口をきくようになるのが例である。 昭和の大横綱、北の湖親方とも、昭和60年国技館が両国に移った年の9月場所後の引退相撲の仕事がきっかけで、掛け合いの冗談も言わせてもらう間柄となった。
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July 21, 2020 at 10:08AM
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【私の“奇跡の一枚” 連載79】 大横綱をおくびにも出さず 友達付き合いをしてくれた北の湖親方(ベースボール・マガジン社WEB) - Yahoo!ニュース
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