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【私の“奇跡の一枚” 連載84】 夢か現か―― 38年前優勝パレード車に同乗していた私(ベースボール・マガジン社WEB) - Yahoo!ニュース

 我が出羽海部屋の御嶽海が平成30(2018)年名古屋場所で初優勝を果たし、私たち部屋の親方衆も、その栄誉のおこぼれを、誉れの弟弟子を囲んで記念写真に納まるという形でいただいた。

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。  相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。  本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。 ※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。

東京の部屋にも大賜盃を

 明治の“角聖”常陸山以来大錦、栃木山、常ノ花、武蔵山、安藝ノ海、千代の山、佐田の山、三重ノ海と横綱を輩出し、名門の名をほしいままにしていた出羽海部屋だが、このところずっと優勝からも遠ざかっていた。  そう、我が部屋に優勝旗がやってきたのは、私の現役時代にさかのぼる。  昭和55(1980)年初場所、北の湖・輪島・2代目若乃花と4横綱で競っていた名人三重ノ海関が前九州場所に引き続き初の連覇を果たした。しかも見事な全勝優勝。あのときウチの横綱の左四つの相撲の型は相撲の神様が乗り移ったようで、その強さ、充実ぶりは、間違いなく角界の頂点にあったと思う。  後輩である私たちも当然大興奮。地元両国のお客さんも、43年初場所の佐田の山以来12年ぶりの東京場所優勝とあって大喜び。パレードの際、紋付袴姿で横綱に付き添う我々関取衆(鷲羽山、出羽の花、佐田の海、大錦)も、もみくちゃになった覚えがある。  実をいうと、この、大騒ぎで大変だったという印象だけはあるのだが、それ以上の細かい記憶は、これまでほとんどなかった。  ところが、さる秋場所、NHKの大相撲中継に、停年で退職する山科親方(元小結大錦)が向正面にゲストとして招かれた際だった。先の名古屋場所で後輩御嶽海が果たした初優勝が、出羽海部屋50回目の栄冠にあたるとして、常陸山以来の歴史が映像で細かく紹介されたのである。そこではなんと、ウチの横綱を挟んでパレードのオープンカーに、旗手の鷲羽山関とこの私が乗っていたではないか。  はあ、そうだったんだ――。  この写真を目にした途端、わたしの胸は大いに熱くなった。あの時、私は記憶がすっ飛ぶほどの興奮にかりたてられていたのだ――。

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September 08, 2020 at 10:14AM
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