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【私の“奇跡の一枚” 連載66】 我が郷土室蘭のヒーロー 北葉山の凛々しきモミアゲ(ベースボール・マガジン社WEB) - Yahoo!ニュース

 あの大型柏鵬時代に、小さい体ながら独特の技能相撲で割って入り、トレードマークのモミアゲでも人気のあった時津風部屋の闘志の大関・北葉山は、我が北海道室蘭市の出身。

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。

闘魂大関北葉山

 その相撲人生の中で最も光り輝くのは、何といっても昭和38(1963)年名古屋場所の初優勝でしょう。

 空調設備も整っていなかった金山体育館の昔とて、力士はたちは南洋場所といわれた名古屋場所の体調管理には心を砕いていた。当時大鵬は夏場所まで史上最高の6連覇を成し遂げていたころ。その中で兄弟弟子の青ノ里が大鵬の連勝を許さず30でつぶしてくれたことも手伝って、北葉山は優勝戦線をひた走りました。

 私はそのとき小学校5年生でしたが、その時の興奮をいまだに持ち続けています。

 7月7日の七夕の日、家族で洞爺湖の湖水祭りに行った帰りのこと。夕食に寄ったレストランではテレビの相撲中継を流していました。まだ白黒テレビが一般的で、NHKだけでなく民放も加わって一斉に相撲中継に精を出していた時代でした。

13日まで一人全勝だった北葉山が、14日目に栃光、千秋楽2敗で追ってきた佐田乃山に敗れ、とうとう二人の決定戦に――。思わず悲鳴をあげたのは私ばかりでなく店内のお客さんも同じでした。大写しになる佐田乃山とアナウンサーの声。

 しかし大一番は、北葉山が一気に押し出してしっかりものにしました。「北葉山、悲願の初優勝!」というアナウンサーの絶叫に呼応して、遠く離れた北海道の地にも金山体育館にも劣らぬ歓声がわき上がりました。レストランでのメニューは全く記憶にはありませんが、その喧噪の情景は今も私の心に色鮮やかに残っています。

 その翌月に行われた室蘭巡業はもちろん大騒ぎ。その前日には北葉山関の優勝パレードが行われ、車道も歩道も関係なくなるほど、駅前通りは大勢の熱狂した人々でうずまりました。

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April 21, 2020 at 10:41AM
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