ビットコイン(BTC)は何にでも使える。私はピザを注文し、あらゆる困難にもかかわらず、ビットコインで充実したキャリアを築くことができた。
私が何年もビットコインを使っているのは、家族が必要としているから。投機を楽しんでいるからではない。
オランダでビットコインと出会う
2013年にオランダでソフトウエアエンジニアと一緒に仕事をしていた頃、ビットコインを知った。コードからお金を作れば、お金はコミュニケーションの手段になり、その価値はコミュニティの価値を表すと思った。
その頃、私は月に2度、オランダからレバノンの家族に送金していた。高い手数料は大きな負担だった。加えて、送金ショップの長い列で待ち続けるのは拷問に近いと感じた。銀行口座を持たない世界中の多くの人たちにとって、お金のやり取りは乗り越えることができない壁である。
例えば、サウジアラビアでは多くの人が居住許可を持っておらず、インドやパキスタンに住む家族にお金を送ることができない。
ビットコインにはこうした制限はない。法外な取引手数料も存在しない。
2013年の後半、私はビットコインをテーマにフェイスブックでグループを開いた。モデレーターとして1万人もの人たちと議論した。参加者のほとんどはエジプト出身者だった。
私はそこでたくさんの興味深い人と出会った。アブドゥラ・アルモアイケル(Abdullah Almoaiqel)氏もその一人だ。アブドゥラ氏は現在、中東初の認可済み暗号資産取引所「レイン(Rain)」の共同創業者兼パートナーだ。レインはバーレーンに拠点を置き、同国とエジプトで事業を行っている。
難民としての苦しい生活
2014年、すべてが悪い方向に向かい始めた。私のヨーロッパ在留カードはその年の終わりに期限が切れ、母国では戦争が起きていた。人々は、地元の武装組織「ヒズボラ(Hezbollah)」をレバノンから追い出すために戦っていると話した。
当時、多くのシリア人がオランダに流れ込んでいた。私はイスラム教の祈り方が書いてある小さな本を買い、祈りの練習を始め、コーランを聞き始めた。
ヒズボラの指導者であるサイード・ハッサン・ナスララ(Sayed Hassan Nasrallah)氏の演説を聞いた。「シリアでともに戦おう」という呼びかけも耳にした。私はシリアかレバノンに強制送還される運命に身を委ねていた。
眠れない夜が続き、フェイスブックにはシリアでの戦争の残虐さを示す映像が絶え間なく流れていた。恐怖心が私を覆った。
2014年9月11日、500人の移民がヨーロッパへの渡航を試み、地中海で命を落とした。その時、私はヨーロッパにいることがいかに恵まれたことかを実感した。
両親への嘘
それでも私は、エジプトのソフトウェアエンジニアや、ビットコインのアーリーアダプターと共に運営していたフェイスブックのグループページの運営を続けた。
私は多くの人と話した。マイニングの方法やビットコインの価格予測、売買についての質問に答えた。グループページの参加者は、私がオランダから参加していることは知っていたが、完全な在留資格を持っていないことは知らなかった。
私は難民キャンプで30歳の誕生日を迎えた。両親には、快適なヨーロッパのアパートに住み、入国管理局が私の在留資格を更新すると嘘をついた。キャンプで他のアラブ難民と一緒に暮らしていたことは私以外、誰も知らなかった。
難民はID(身分証明書)を持っていないので、銀行口座を作ることすらできない。彼らの多くはオランダに知り合いも存在しないだろう。
ビットコインの専門家
ビットコインは私の仕事において、大きな部分を占めるようになった。
暗号資産に絶えず触れていたので、ビットコインを取材していた記者の通訳をするようになった。時には、ビットコインの売り手と買い手をつなぐエスクロー業者として数百ユーロを稼いだ。
2015年7月、私はキプロスにあるニコシア大学から技術的な専門知識の証明書を取得し、ビットコインブロックチェーンに登録した。ついに私は資格を持ったプロであり、もはやホビイストではなくなった。
多くの人は、ビットコインネットワークを全てのお金を失うカジノと捉えているだろう。オランダでは多くの会合が開かれ、私は登壇者として呼ばれるようになった。
その中に「Bitcoin Wednesday」と呼ばれるイベントがあった。毎月第1水曜日に開催されるから、その名がついた。徐々に私のビットコインにまつわるアイデンティティは、難民としてのアイデンティティを克服しつつあった。
デジタルの未来、未来の人生
何年もの間、スピーカーとして呼ばれるたびに、私は皆にポケットからお金を出してもらい、同じ金額のビットコインを渡してた。ビットコインを理解する最良の方法は、ビットコインを使うことだから。
お金とアイデンティティは何世紀にもわたり、密接な関係を保ってきた。私はアイデンティティを持つことなく、ビットコインを使った。お金を使い、デジタルで取引するために必要なものは電子メールだけだった。
今の世界では、教育や卒業証明、医療やワクチン、旅行や航空券のようなサービスとやり取りするためには、アイデンティティが欠かせない。テクノロジーは、トラストレス(信頼できる第三者を必要としないこと)に、より多くのことを証明する必要がある世界で私たちの暮らしを支えている。
私は20を超えるヨーロッパの都市と、中東の数都市を訪れ、基調講演や公開プレゼンテーション、ワークショップを行った。信頼せずに証明するという原則に基づいて作られる教育、お金、ビジネスに関するデジタルの未来を示した。
ビットコインは何にでも使えるわけではないだろう。だが、間違いなく私の人生を大きく変えてくれた。
テイ・エルジュラ(Tey Elrjula)氏:シリア難民で起業家。書籍『The Invisible Son(透明な息子)』の著者でもある。
翻訳:新井朝子
編集:増田隆幸、佐藤茂
写真:左が著者のテイ・エルジュラ氏
原文:I’m a Syrian Refugee. This Is How Bitcoin Changed My Life
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July 18, 2020 at 06:00AM
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