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【私の“奇跡の一枚” 連載82】 大横綱・双葉山を師匠に頂いた父の誇りと生き様(ベースボール・マガジン社WEB) - Yahoo!ニュース

 写真の、断髪式で昭和の大横綱双葉山の時津風理事長のハサミを受けているのは、私の父、元十両時津浪(ときつなみ)でございます。場所は、相撲界でも特別に『道場』と呼ばれていた墨田区両国の時津風部屋の稽古場。

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。  相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。  本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。 ※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。

親とも神とも思う人

 父は昭和9(1934)年生まれ、青森県三戸の出身で28年9月の初土俵、当時の新弟子検査の身長規定(173センチ以上)の規定に満たない小さな体ながら、同郷の先輩、横綱の鏡里関のおとりなしにより、必死のお願いを理事長にお聞き届けいただき、入門を許されたと聞いております。  それだけに一生懸命頑張ったのでしょう。36年1月に新十両となり、40年5月場所を限りに引退するまで、大関北葉山、豊山関を擁した錚々たる大時津風部屋の関取の一員として名を連ねさせていただきました。  父の現役時代のことなど何も知らない私ですが、残されている大師匠と大勢の関取衆との集合写真などを見ると、たとえ身分は十両であっても、双葉山の弟子として誇りも高かったんだろうなと想像します。  とにかく双葉山の時津風理事長の人品と貫禄は素晴らしいもので、力士はもちろん、親方衆までもが師匠の前に出ると、直立不動になったと聞き及んでおります。  父は60歳で脳梗塞を患い、平成8(1996)年8月11日62歳で亡くなったのですが、晩年「オレは死ぬことなんかちっとも怖くない」と申しておりました。それはなぜかと言うと、「あっちへ行ったら、またあの双葉山関に会えるから」といった具合でした。

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August 18, 2020 at 10:12AM
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