障がいのある娘を持つ母親は訴える。「うちの娘は健常者に感動を与えるために存在しているのではない」と。ただ普通に生きているだけなのに、「すごいね」とか「ヒーロー」だとか言われるが、そうした励ましや称賛の言葉の裏には哀れみの心が見える──。
それは身障者差別であり自己満足
脚にギプスをつけた小さな女の子が、ピンクの歩行器を使いながら懸命に、ねじれた足取りで歩く姿が、人々に愛おしくてたまらないという思いを抱かせる──これは一体どういうことなのだろう? 親として、もちろん私の娘は愛らしく素敵な子だと思う。でも実のところ、彼女は自分のやるべきことをやっているだけの小学2年生にすぎないことも知っている。 ただ日常生活を送っているだけの娘に対し、健常者が注目するのは、気持ちを高めてくれるものでもなければ素晴らしいものでもない。それは不必要なものだ。 私がなぜそう考えるのか、その理由を話したいと思う。近年、障がい者を社会に包摂しようとする取り組みを健常者同士で称賛しあう傾向がある。 あなたは、それは誰かが何か良いことをしようとしている素晴らしいことであり、心が温まるような話だと言うかもしれない。けれど障がい者コミュニティーに属している多くの人々はそれを「感動ポルノ」と呼んでいる。 障がい者は、あなたの感動の対象になりたくないと思っているし、私も自分の子供をあなたの感動のために使われたくないのだ。 人々は、障がいのある子供たちがプロムパーティーに出かけることができた、バスケットボールのチームに入れた、健常者の友だちと楽しい時間を過ごすことができた、などのエピソードや動画をSNSでシェアすることが大好きだ。 私もそうだった。「ほら、見て、この子は何て優しいの。お友だちの車いすを押してあげているのよ」とか、「この先生は障がいのある子供のために何て思いやり深いことをしてあげたのかしら!」といったように。 しかし、それは身障者差別であり自己満足である。障がい者に対して優しくしようと努める健常者を称賛する投稿は、障がい者を取り巻く現状を強化してしまうものだ。つまり、障がい者は「異なる者」かそれ以下の存在で、そんな人たちを疎外しないで社会に包摂(インクルーシブ)したり親切にしたりする行為を英雄視する現状である。
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June 04, 2020 at 04:00PM
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障がいのある私の娘は、あなた方の「感動ポルノ」ではない─“健常者の見世物”になるのはもうたくさん(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース
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